市民連合わかやま
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わかやまイベントPLAZA
”ぶらいおん”とは?

つまり”無頼男”のことだ。

剣豪作家 柴田錬三郎氏いわく、


「無頼」とは自分の規律を守ること
「世間が何といおうと、自分が正しいと信ずる規律に基づいて行動する」
「そういうプライドを持った行動が無頼なんだ」
「つまり知性のコントロールだな」

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”ぶらいおん”の 来た道~往く路

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2018年10月8日(月)
漂流日記5
<今日は可成り湿度が低く、快晴の気分良い日>

相変わらず、この日記には苦労させられる。
いや、別に、書く内容に苦労させられるのでは無く、デスクトップ上のショートカットから、この日記をスムーズに作成する手順に苦労させられるのだ。
普通にやれば、簡単に出来るはずの操作が、考えた通りには行かない。
一例を挙げれば、今日撮った上の3枚の写真をそのままアップロードすると、上下逆転して、表示されたりすることだ。

まあ、この話は、このくらいにして、次に移ろう。
左2枚の写真は、私が台風後、初めて片男波海水浴場へ散歩に出たことを示している。

その先日の台風の影響で、思ったより、矢張り砂が
押し寄せて来て、よく利用していたベンチなどは見当たらなくなっている。


流されてしまったか? あるいは砂の中に埋没したに
違いない。


今は定期的に出掛ける仕事は無くなった。
それでも、イベントでもあれば、バスで出掛けたりするのだが、そんなことも無ければ、外を歩き回ったりることは少なくなった。

未だに、まともな天候では無く、嫌な蒸し暑さの日などは散歩する気もしない。

家の中では机に向かうことが多く、32インチのディスプレーで、デスクトップPCを触ったり、iPadで、電子書籍を読んだり、facebook、twitterをチェックしたりするのが日課だ。

その他には、最右の写真の楽器Venova(黒色のケース入り ―― 白いプラスチック製の管に、マウスピースが装着された管楽器。)を入手して挑戦し始めた。

サックスに似た音色で、音は気に入っているのだが、何せ、全くの、音楽ド素人で、音符も読めない80代半ばの老人がやろうというのだから、傍から見れば、無謀な、暴走老人ということになるのかも知れない。

音楽自体は昔から大好きで、多くの演奏を、この歳まで聴いて、楽しんで来た。

だが、楽器をやったことは全く無い、と言ってもよい。

今で、言えば小学生の低学年の頃から、音楽を勉強して、なれるものなら音楽家になりたい、と本気で考えていた。

ところが、それに賛成して、熱心に教えてくれる、と約束していた、当時担任の、音楽の先生であったK先生が突然、召集されて、私の目の前から去り、間もなく戦死されたことによって、音楽家になりたい、という夢も消え去り、それ以来楽器に親しむ機会は全く無かった。

全ては戦争の故だった。

そんな人間が、そう簡単に、満足な音色も出ないような楽器を始めてみても、やっぱり無理というものなのかなぁ? 本当は自分にも良く分からない。

いずれその内、その後の経過について、書ける日もあるかも知れない。
2018年8月15日(水)
漂流日記4

<晴れ一時俄雨>

73年前の8月15日も、矢張り暑い日であった。

終戦(正しくは「敗戦」、どう言い換えてみたところで、「無条件降伏」を受け入れたのだから、完全なお手上げ、どうにでもして頂戴!状態であることは間違いない。)記念日と呼ばれている。

白石君という友人の陶芸家がFacebookにも書いて居たように、その日も、確か、今みたいに、とても暑かった記憶がある。

だが、私は詔勅なるものを聞いていない。

私だけでは無い。当時の私の家族
全員が、実は聞くことが出来なかったのだ。何故か?

当時、私は国民学校6年生、家族全員で東京から、父の生まれ故郷である紀伊半島の小さな漁村の、空き家となっていた本家に、縁故疎開していた(但し、父は東京で補綴学の教授として歯大に勤務していたので、東京と、この紀
南の漁村との間を行ったり来たりしていた)。

そんなわけで、偶々8月15日には、父は我々の疎開先である和歌山県江住村に滞在しており、米国留学も経験している父の判断で、日本の敗戦も間近く、このまま戦争が継続されると、米国海軍の夜間の艦砲射撃も頻繁に行われるようになってきた状況や、沖縄戦の結果からして予想されるように、もういつ敵が上陸してくるかも知れない、という懸念が高まり、その前に、山中に横穴の避難場所を探そう、ということになって、その日は家族全員で1日中、山の中に入って居た。

夕方、家の近くまで戻って来ると、何やら、村の様子もいつもと異なっており、人伝(ひとづて)に聞いて、戦争の終結を知った。

ところで、国民学校(今の小学校)では、日本は古来、明治維新の開国前後から現在に至るまで、欧米列強による植民地支配を受けなかったアジアで唯一の国である。と教えられて来た。

それで、虐げられているアジアの欧米植民地を、同じアジア民族として解放するのが、聖戦の一つの目的である、とも教えられて来た。

種々の要因があるにせよ結果的に、今は、殆どのアジア諸国は、少なくとも形式的には植民地の地位からは脱している。

ところが、私の考えでは、日本の敗戦によって、別な形の植民地支配が確立されることになり、それは今でも確りと継続されている。

それは、何処の話か?と言えば、アメリカ合衆国による日本国の潜在的植民地化である。

日本にある「民主主義」はアメリカ合衆国のための、それであり、真の民主主義とは程遠い。我々日本人の間には、
実は本当の民主主義など存在していない、と言える。

敗戦後73年経っても、未だにアメリカが治外法権を有する基地を堂々と保有しているし、「非核三原則」などと曰(のた)もうても、核を持ち込んでいる当事者(アメリカ)が、それを公式に認めない限り、日本国内に核は存在しないのだ、という詭弁が罷り通るような政府が存在することからしても、それは言えるだろう。

だから、良く考えてみれば、戦後の日本の全ては、アメリカの意向に従って進行したものと言える。(無論、現在もそうだが…。)

現実に、アメリカのポチになった政治家や実業家だけが力を持つことになり、逆らったり、批判的な行動を取る者は次々と、手段を選ばぬ秘密組織によって潰されて行く。

その証拠の1例として、ホンの氷山の一角であろうが、Facebook上に投稿された鈴木宗男氏の動画もある。
https://www.facebook.com/268759603556377/videos/539965613102440/?t=17

こんな状態を延々と100年近くも放置したままで良いのだろうか?英国に支配され続けて来た香港ですら、1997年には中国に返還された。

73年目の敗戦記念日を機にそろそろ、真の独立を果たし、日本人のために、まともな民主主義を確立すべきでは
ないのか?

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